美容遍歴・化粧品はどこまで無添加であるべきか①

                            

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私がなんとなーく美容的に無添加側の人間になったのは

大学時代のとんでもない肌荒れを乗り越えたあたりからでしょうか。

それまで私の食生活は乱れに乱れていたし

基礎化粧もメイク用品も安かったり可愛かったりすれば

なんだって良かったし、毎日フルメイクしてはケミカル満載の

クレンジングで落とし、ときには大学生らしく落とさずに寝たり……

それに加えて元来のガサツさによって肌をゴシゴシこすったり

ちょっとマッサージしてみようとグイグイやってしまったり

美肌界で超NGとされていることも躊躇しなかった

……等々、今思えば荒れるべくして荒れたと自信を持って言えます。

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それから帰省するたびに食の大切さに気が付くようになり

玄米菜食から断食から果ては光合成の可能性までを模索し

家族にまで「あんたちょっと気持ち悪い」と言われた

このあたりの私の食遍歴はなんというかオタクというより

アレな感じの人の印象を与えてしまうであろうと思われ

けっこう気持ち悪いのでとりあえず省略しますが

それを皮切りにして私は基礎化粧品とメイク用品を

出来る限り自然のものにするようにしていきました。

 

自然のものにするといっても初めは

「自然っぽいこと謳ってる」

商品であればそれでよし、程度のものでした。

成分はまあどうでも良くて世の中に結構たくさんある

自然っぽいイメージのブランドのものを

いろいろ試してみてるだけで満足でした。

 

たぶん私がノンケミ派に流れていくことになったのは

大学時代のある友人が有名ブランドの高級品を好むタイプで

「少なくとも」シャネルとかディオールとかあの辺りのブランドで

化粧水なら五千円以上は当たり前、それ以下のものを使うのは

女として認めない、わかったか×××××を使っている女よ!

と私のこだわりゼロのチープ化粧品たちをことごとく糾弾し

お手頃価格を使っているとバレると本気で怒られるため

わかったよ、わかりましたよ、としぶしぶブランド物に移行し

ところが元来の研究好きから徹底的に調べつくして購入する

という手間がだんだん楽しくなって来て、雑誌を読みあさり

口コミも寝る間を惜しんで読むようになり、加えて

あの高級品特有の香りや可愛らしいヴィジュアルにも

心奪われるようになり、いつしか相当の時間とお金を

化粧品に掛けるようになっていったのが始まりでした。

 

それまでは安くて、求めている効果が書いてありさえすれば

つまり「日に焼けたから白くしたい」と思うなら

パッケージに「30日で白米みたいに白くなります!」

等と書いてありさえすれば「よし買った」とレジに持って行くような

今考えて見れば化粧品というものに興味がなかったのかもしれない

ビューティーライフ(なんてものはなかったけど)でした。

 

ところが上記の友人が若い身空で次々に高級化粧品を買い

それが天井知らずでますます高価なものにシフトしていくのを見て

朝につける一万円の下まぶた用アイクリームだとか

顔と首は別物だから首専用の一万五千円の美容液だとか

さらに首とデコルテは別物だからまた一万円越えの美容液だとか

どこそこのブランドから限定で出る三万円のクリームなんて代物も

見ればもう手のひらサイズもいいとこでさらに底上げもしてあり

私も目が覚めたというより、あまりにもその供給スピードが早過ぎて

ものすごい勢いで追い抜かれてしまい、そのめくるめくスピード

押し寄せてはまた押し寄せてくる怒涛のような情報量に

頭がぼうっとしてなんだかくらくら眩暈までしてきて

あ、もう結構です……とぷつりと糸が切れたようになってしまったのは

私の性質から言えば当然のことだったのかもしれません。

その友人なんかはきっと一生、何度ビッグウェーブが来ても

乗りこなせる人だったんだろうと思いますが

私は一回必死こいて乗りこなしたのに

「良くやったね!ほら、また次の波が来たよ!頑張って!」

と言われてしまうと愕然としてしまうタイプだったのです。

 

さて問題は、私と、友人と、どちらが正しいのかは

還暦くらいになってみないとわからないであろう、ということ。

もちろん

「今!ここ10年くらいキレイならそれでいい!」

という場合は話は簡単で、最先端の化粧品を貪欲に使えば

10年くらい余裕でパッツンパッツンの肌を保てます。

でも実際

「今が若くて大事なときだから今がキレイならそれでいい」

といっている女子高生だって、50歳になったときに

「肌ボロボロだけど女子高生のときキレイだったから別にいいや」

と思うかといえば絶対そんなことはなくてそのときには

やっぱり超絶美肌でいられたほうが幸せに決まっています。

私と友人も、その後ノンケミとケミカルに袂を分かつことになれど

お互い選んだ道が、生涯美しい肌を保ってくれる方法なのだ

と信じていたし、そうでなくてはいけないと思っていました。

 

友人は私よりも貪欲で

「今最高にキレイになり、この先もキレイな状態を保てる」

ものを常に求めていたので、そうなってくるとやはり

バリバリ最先端ケミカルに頼ることになるのが自然です。

 

ノンケミの道は、どの程度のノンケミかにもよるけれど

「はじめはひでえ状態になるけれど徐々にキレイに」

といわれる方法や商品が多いわけです。

一番わかりやすいのは石鹸シャンプーとか、湯シャンとか。

湯シャンなんて私も挫折した方法ですが

「はじめは髪がごわつくけれど徐々に落ち着いて

頭皮の健康を保ち将来的な薄毛のリスクが格段に減る」

などと言われたりします。

私がノンケミの道を選んだのはひとつには

私が好きなおかずを最後に食べるタイプだからだと思います。

「嫌いなものは先に食べた。後は好きなものしか残ってない」

という感じ、要は

「はじめに苦労すればあとから良いことがめぐってくるはず」

というまあ、あまり根拠のない思考が理由かもしれません。

 

さて、このような私の化粧品遍歴というのはわりと一般的で

おそらく無添加に傾倒したことのある人はだいたい

同じような道をたどるものなのではないかと思うのですが

 

①安くて自分の求める効果を謳っているものを適当に使う

②もう少し上のライン(化粧水三千円くらい)を使い安心する

③高級ブランド品のとりこになって日本経済に貢献

④急に目が覚め自然派イメージの安い化粧品を使う

⑤成分を意識し始め本物の無添加に移行する

⑥成分を意識しすぎて手作りに手を出す

⑦つらくてもう一度⑤に戻る

⑧少しだけケミカルに戻る

 

とものすごくシンプルなスゴロクのようになります。

基礎化粧品だけではなくメイク用品までノンケミに移行したのは

⑤からですが、⑦あたりからまた少しだけゆるくなります。

お察しのとおり私が「気持ち悪い」といわれていたのは

⑤、⑥、あたりの時期です。

これは決して手作りが気持ち悪いわけではなく

そのころの私の血走った眼や、血管の浮いた額や

「これは好転反応」と主張する頬の乾燥や、異常な頑固さや

そんななんだかもう後戻りできないような雰囲気が

 

「お前が作っているのはほんとうに化粧品なのか……?」

 

という周囲の疑念を呼び起こすようなものであったのでしょう。

ほんとうに化粧品を作っていましたが、その出来ばえといえば

きちんとした化粧品といえたかどうかは疑問です。

 

そして今回のテーマは

「なぜ⑥から⑦へ、そして⑧へ移行したのか」

ということになると思うのですが、ここまで

あまりにも自分の遍歴がをつらつら書きすぎてしまい

長くなってしまったのでパート②に続きます!



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