週末は気がつくとシャンゼリゼ。
シャンゼリゼ通りにある映画館で、なにかというと映画を観ます。
他に大きな映画館はたくさんあるというのに、なぜかここに落ち着く。
日が暮れてからシャンゼリゼを通りかかるとき
なんというか、ノスタルジックな気持ちになります。
それはたとえが悪いですが、車で旅行をしていて
夜中に高速道路を走り続け、ちょっと疲れて
サービスエリアにたどり着いたときの気持ちと似ている。
わくわくする反面、もの淋しい。
この街灯のせいだろうか?
シャンゼリゼとサービスエリアを同じように語ってしまって申し訳ない。
でもここにある世界中の観光客の「わ!シャンゼリゼ!」という熱気
皆それぞれ抱き合ったり踊ったりキョロキョロしたり写真を撮ったり
そういう光景にふと遭遇すると、こちらも楽しい反面少し淋しい気持ち。
いったいなんでこんな気持ちになるんだろう?
それは一人で通るときも、誰かと一緒のときでもわりと同じ気持ち。
皆がとてもうれしそうでも。そしてそれは決して悪い気持ちではない。
さて、このシャンゼリゼ通りにあるマクドナルド。
このマクドナルドは世界で一番、客数が多いのだそうです。
客数が多いというか
「世界で一番混んでいて、いつも客の絶えないマクド」
という説明だったのですが
「私それ、ブログに書くよ?」
と言うと
「いや、待って待って、聞いただけだからさあ……」
という答えが返ってきて、なんだか確かでないような……
でもまあ、シャンゼリゼ通りですからね。
ありえる。
マクドは旅行者の強い味方でありますからね。
フランス人はマクドナルドのことを
関西圏の人々と同じく「マクド」と言います。
不思議。
それが不思議というより、世界中で「マクドナルド」という名前は
長過ぎると思われているんだ。
その世界で一番混んでいるマクドナルドで時間をつぶしてから
今日はリュック・ベッソンの「LUCY」を観ました。
そりゃあ、あのベッソンが
スカーレット・ヨハンソンを撮りたくないわけないよね
という納得の主演であり、そして内容です。
もし脳を100%使える状態になるとしたら人間どうなる?
ていう映画なわけで、だいたいラストどうなるのかなーって
予想もつくし、わかることはわかるんだけど、その過程が大事なのです。
ベッソンの映画はシナリオってそこまで大切じゃないと思ってるし……
脳の可動域が20%30%と上がっていく
だんだん人間の域を超えていくというこの役に
ベッソンならもちろん男優ではなく女優を起用するだろうし
それは今ならスカーレット・ヨハンソンの他に思いつかない。
彼女の厚い唇や余裕シャクシャクのお尻の動きを見てるとそう思えてきます。
フィフス・エレメントのミラ・ジョボビッチとはちょっと方向性の違う
女として完成されてる感のあるスカーレット・ヨハンソン。
とにかくこれはスカーレット・ヨハンソンを観るための映画。
ふらっとこれに決まり入ったにも関わらず、寝不足だったにも関わらず
一度も眠くならなかった。
ただ、観察者としてのモーガン・フリーマンの役は
もうちょっとなんかない?と思いました。
モーガン・フリーマン出るよって言われたら
自然と彼の役が重要であることを期待しちゃう。
爆弾背負ってビルを上ったり
軍艦に丸腰で対峙したりしないのは知っているけど
モーガン・フリーマンが出てくるとき、人は思った以上に
「モーガン・フリーマンが出演してる」という安心感を持ち
期待もするものなのでリュック・ベッソンもそこらへんをもうちょっと
考えて欲しかった。
仕方がないのだけど
リュックはスカーレットに気持ちが行き過ぎていたのかもしれない……
ここ数年、映画というのは、アホみたいなおもしろいやつに限るな
という結論に達してからチョイスに失敗しません。
「トランスフォーマー/ロストエイジ」くらいかな……アレ長かった……
あと「ルーシー」って名前はなんだか魅力的なんですよね。
ベッソンさすがわかってる。彼とは女性の趣味が合いそう。
ダイエットや筋トレや砂糖断ち中で気持ちが上がらないとき
こういう美女を二時間観られる映画はとんでもないやる気を与えてくれます。
スカーレット・ヨハンソンが好きな方は必見です。