父と息子の鉄人レース・走り続けるために

エンターテイメント

 

土曜日のことですが先月からずっと狙っていた映画を観てきました。

De toutes nos forces(予告編あり)一生懸命、全力、という感じでしょうか。

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なんで観たかったかというと、予告編をみたときに、

あれ、この話どこかで聞いたことがある、ともやもやしたからです。

これは全身麻痺の息子のために父親がトライアスロンに挑戦、

息子を乗せたゴムボートを引っ張りながら泳ぎ、

息子が前に座れる特別仕様の自転車をこぎ、

息子の乗った車椅子を押して走る、

という、ただでさえ過酷なトライアスロンをさらに過酷にした状態で、

息子のためにやり遂げる父親の話です。

 

日本でずっと前にテレビ番組で実話として放送されていた、

ディック・ホイト氏とその息子リックの話に似てるな、と始めは思いました。

彼は全身麻痺の息子の車椅子を押して32.195キロを82回走りました。

8回、フルマラソンに加えて4キロを泳ぎ180キロ自転車で走りました。

もちろん息子とともに。

さらに息子を引っ張ってのクロスカントリースキー、

息子を背負い登山、自転車でアメリカ大陸横断、

という、いくら父親でもここまで出来るものだろうかというような、

凄まじく過酷なレースをやり遂げている人物です。

でもディックはひとりでは走りません。

タイムを出したいわけじゃない、誰もがディックがひとりで走るなら、

きっと驚くようなタイムを出すと考えるかもしれないけれど、

もしかするとひとりでは、完遂することも不可能なのかもしれない。

 

もともとディックは特別肉体的に鍛えられた男というわけではなく、

リックが、高校の全身麻痺の同級生のためのチャリティーマラソンについて、

自分も走れたらいいのに、と言ったことがきっかけだったようです。

そのとき38歳だったディックは太っていて一キロも走れない、

その身体をアスリート並みのトレーニングで鍛え、

レースが終わった後は2週間筋肉痛に苦しんだけれど、

息子の、

「走っている間、まるで自分にはハンデキャップがないみたいだった」

という言葉が父親を鉄人に変えたのでした。

 

62歳のとき、ディックはレースのゴール直後に心筋梗塞で病院に運ばれました。

医者は、

「もし鍛えてなかったら50歳にならないうちに亡くなっていただろう」

と告げたそうです。

父と息子はお互いの人生を助け合ったというわけですね。

 

さて映画の方は、ディックとリックのようなことをしようと

チャレンジする父と息子、のお話しのようでした。

ディック・ホイト氏と映画中の父親はまったく真逆の性質で、

ディックがそもそも前向きであきらめない姿勢を息子に見せ、

その可能性を引き出そうと努力してきのに対し、

映画中の父親はハンデキャップを持った息子に向き合えない男です。

一方そんな夫をよそに母親は明るく前向きに息子を世話します。

トライアスロンに挑戦したいと父に何度も懇願するのは息子の方です。

根負けしてレースに出場することにする父親、

母親は危険だと止めるも、息子に向き合い始める夫を、

そして父親に振り向いてもらえてうれしそうな息子を見て、

出場を許可するのでした。

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この映画、とにかく両親が美男美女。

父親役のジャック・ガンブランは別に若く見えるわけでもなく、

年相応で肌もたるみシワも多く、それでもものすごい男前。

画面にずっと出ているだけで華やぎます。

そして母親役のアレクサンドラ・ラミー。

すらりと背が高く、映画の中ではほとんど化粧気もなくて、

低い声で早口でしゃべり、夫に不満をガシガシ伝え、

息子に対しては悲壮感もなく日々たんたんと、

肝っ玉母ちゃん風に愛情深く世話をする。

その様子がものすごく魅力的でした。

よくナチュラルな女性、とかいいますが、

ナチュラルってひとによって様々な解釈があり、

コテコテの人口甘味料みたいな女をナチュラルというひともいるし、

あるいは森ガールみたいなのか、RIKAKO的サバサバ系なのか、

わからないけれどとにかく、この映画のアレクサンドラ・ラミーは、

ナチュラルな女の魅力が凝縮されていたように思えました。

ざっくりセーター着て化粧しなくても、またバッチリメイクしても、

めかしこんでも、ジャンクフード食べても、なにしても、

彼女はナチュラルな美しさというのを体現していました。

 

なんだか美しさというものについて考えさせられる二人です。

シワくちゃでも、着飾らなくても、情けない姿を見せても、

美しいひとは美しい。美しさってつかみどころがないなあと思うのです。

 

しかしどうしても理解が及ばなかったのは、

息子が父親に何度もレースを頼む、ということでした。

それほど若くない父親に身体を酷使させるということは、

「もしそんなこと頼んだ挙句に父親の身体になにかあったら……」

とおそろしくなってしまい、想像上の罪悪感と悲しみに押しつぶされそうです。

これが父親から言いだしたことならばともかく。

要するにそこがこの息子の強さだったということなんでしょうか。

さもなくばなにも前に進まずこのようなも素晴らしい体験もないわけです。

ときには人間、ズイズイと思うまま物事を運ぶべきだということでしょうか。

 

で……これ日本では上映されないの?

私は面白かったしフランス映画独特の暗さもなく、

日本では受け入れられるタイプの映画だと思うのに。

これがハリウッド映画なら間違いなく日本上陸済みなんでしょうね……

フランス映画に幸あれ!

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